AI使うことを何でも正義にする風潮について
注意
結構自分でも正解ではないポエムだと思ってるので垂れ流してください。
現状
生成AIの進歩が著しく、エンジニアとしても利用するシーンが圧倒的に増えてきた。 界隈によっては全部AIにやらせて人間はプロンプトに集中するようになってきている。
投資家の興味が生成AIの技術利用に置かれ、株式会社では生成AI使ってゴリゴリ動かしているのが評価され出資を受けやすくなっている状況ではあるところ。
感じてること
私自身生成AIでのコード補完や実際や生成はさせている。実際調べたりコーディングはすごく楽になった。
ただこの利用に関してはそもそも使われている内容の吟味がある前提といううことを頭において使っている。 生成AI自体ネットに転がっている情報をベースに学習しており、また学習もそのタイミングで必ず利用現在でベストとは言えない。
まとある程度自分たちが書いたコードやドキュメントをコンテキストとして渡したところで判断できずに脳死で進めると全然正しいコードが出てこないこともある。
判断する力があるからこそ使えるものであり、AIもツールの一部なのでそれに飲み込まれたらただの言いなりになってしまう。
現状vibe codingで何でも作るぜみたいなのもあるが、あの生成物血虚レビューする側からすれば結構苦痛である。
なんの意図のコードなのかまたこの日本語表現文章として違和感ないのかみたいなのを考えずに生成しているので、結局レビューする側の負荷が倍増しており、ちゃんと場合分けして使わないとひどい目に合う.
昔話から思うこと
私の大学時代での話だが、プログラミングをやりたくて電子系にも関わらず情報系の研究室を選んで進んだが教授からは「プログラミングはあくまで手段、本質的に解決したい課題を見極めろ」と言われていた。この言葉は当時の私では「手を動かして技術学ぶの楽しいからいいじゃん」と若干納得できない部分ではあったが社会にに出てユーザーの課題解決をしていく中で実際にプログラムを書くよりはQ&Aを拡張するほうが適切な場合は十分あったし、物事を取り組むべきでの本質であるとあとになって痛感した。
最後に
これからネイティブにAIを使っていく若者が増えていくと思うが、自分が本当にやりたかったものを見失わないようにしてほしい。 もちろん仕事関係なしで趣味でガンガン使う部分に関しては技術キャッチアップとしてはとても重要なのでこれからも新しいものが出れば追うつもりで行くが、本質を見落とさないようにしていきたい。